「繭の中の夢、幻想、偽り」


 私は草原に一歩を踏み出していた。

さっきまで鳴り響いていた汽車の轟音がなくなる。

ここはどこなんだと辺りを見渡す。

佐々木が生まれようとしていた繭が脳裏をよぎり焦る気持ちが溢れ出す。

しかし心地の良い草原の風が吹いて汗ばんだ体を乾かしてく。

このまま、ここでゆっくりと眠ってしまいたい気持ちに駆られ焦る心が濁っていく。

それがまた、どうしようもない気持ちを生み出し苦しませる。

こういう時は1度落ち着かなければと煙草に火をつけ吸い込んだ。

きっとこれは佐々木の最後の抵抗だと自分に言い聞かせる。

見えているだけのただの幻想なのだと、そう信じることで例えこれがはずれの憶測であったとしても今は最善の選択を選ぶことができるのならこれを信じなければと何度も言い聞かせる。

煙草を草原に投げつけ一歩を踏み出した。

踏み出した先、地面が割れ私は地割れの中に落ちていく。

何かを考える時間もなく私は海に叩き落された。

大海原、広い広い海の中に私は落とされる。

海面から顔を出し空を見上げると美しく青い青い空が私を見下ろした。

まるで本当の世界のように穏やかな空。

小さな船が少し離れた場所に見えた。

声を上げるでもなくそれを見つめる。

草原と同じように心地が良い。

揺蕩いの中で微睡を感じる。

このまま眠ってしまいそうになる。

左手の小指を握ると思い切り折った。

痛みが私を冷静にさせる、さすがに声が出てそれが私を覚まさせる。

眠ってたまるかと船に向かって声を上げた。

さほど大きくはない船、声に気づいたのか私の方に向かってきた。

浮き輪を投げられ、しがみつくと引き上げられた。

3人の船員が私に大丈夫かと声をかける。

毛布も与えられた。

ここはどこなんだと私は彼らに問いかけた。

彼らは口々にわけのわからないことを答えた。

地獄だの現実だの、一九九八年だと言う者もいた。

夢でも見ている気分になる。

私が声を荒げようとした時、聞いたことのある声が船の奥から聞こえた。

「ここは、私の夢だよ。」

奥からゆっくりとこちらに近づいてくるのは佐々木だった。

船員達は皆、砂になって崩れて消えてしまった。

「佐々木。」

私はすぐに銃を構えた。

「ここでは、私は殺せないよ。」

彼女は椅子に腰かけると右目を覆う布に手をかけた。

「どうしてだろうね。

夢の中だというのにこれは治らない。」

布をとると焼けただれた皮膚があらわになる。

続けて上着も脱ぎ捨てると胸の右側も皮膚が爛れている。

「君はどうして私の邪魔をする?」

彼女は皮膚を撫でながら私に問いかけた。

時間稼ぎのつもりかと銃を放つが佐々木の体をすり抜け壁に穴をあけるだけであった。

「折角こんな所まで来たんだ。

時間稼ぎだなんて言わないでくれよ。

どのみち、もう手遅れなんだ。

私の夢に付き合ってくれないか。

もうすぐ終わる。」

彼女はそう言って立ち上がると私をすり抜け船の先頭に立った。

「どうしてかはわからないが幼いころからこの夢をよく見るんだ。

大海原で浮かぶ私を数人の船乗りが助ける夢を。

ここがどこなのかとか、そんなことは全く分からない。

ただ、よく見るんだ。

君にはここがわかるかい?」

彼女の目は寂し気で孤独を携えた冷たい氷のようだった。

「知らない。」

空いた椅子に腰かけ彼女に向かう。

これが夢の中だというのなら足掻いたとて無駄なのだろう。

「そうか。

ここまでは悪い夢じゃない。

ここからが地獄のような夢の始まりなんだ。」

空を見上げ彼女は言う。

ため息をつき私も空を見上げた。

太陽に幼い人間が書いたような笑顔が張り付いている。

「あれはきっと神様だろうな。」

佐々木はそう言って笑っている。

「母がよく言っていた無能で役立たずの神様だ。

死んでしまえばいいのに。」

恨みの声は静かで小さな波の音にさらわれて消えていく。

太陽の目は絶えず動き回っている。

まるで何かを探しているかのようだった。

「私を探しているんだ。

気持ちの悪い神様だろう。

小さい頃はあれが怖くて仕方がなかったよ。」

太陽の目が彼女をとらえた時、佐々木の体は震えていた。

日差しがより一層強くなったように感じる。

濡れた体に汗が混じって気持ちの悪さが増していく。

佐々木は呻き声をあげて口を押えた。

煙が唇の端からのぼっている。

舌を焼かれているのだと気づく。

笑いながら舌を燃やす彼女は不気味なようにも感じるがそうするしかないのだろうと思うと哀れな気持ちにもなる。

彼女は苦しみもがくと海へと落ちた。

私はそれを追う気にもなれない。

「私をかわいそうだと思うかね。」

どこかから佐々木の声が聞こえる。

思わないと私が答えると彼女は笑っていた。

「私も思わない。

これが悪いことだともいいことだとも思わない。

ただ、起こったことのうちの1つだ。

私が見る悪夢のうちの1つだ。

この夢を誰かに見せたのは初めてだ。

思っていたより無関心でうれしいよ。

同情でもされようものなら怒りでどうにかなってしまうかもしれないしね。」

「いつまでこんなことをしているつもりだ。

早くここから私を出せ。」

そう怒鳴る私に彼女の声はまた笑った。

「ずっとここにいてもらうさ。

私は私のデカラビアを叶えたい。

そのためには君は邪魔すぎる。」

舌打ちが海原に響いた。

やはり時間稼ぎのつもりだったのだと気づくと虫唾が走る。

どうにかしてここからでなければならない。

佐々木の姿は既になく、声も聞こえなくなっていた。

何かここから出る方法を考えなくては。

最早、人の姿を成すものは私だけとなっていた。

船員は消え佐々木も消えた。

残されたのは私だけ。

煙草は濡れてしまってもう吸えない。

苛立ちが募り始めた。

もう1度腰掛けると冷静になろうと深呼吸をする。

状況を整理しなければならない。

見渡してみても海原以外に目に映るものはない。

何かこの世界にしかない違和感を考えなければならない。

ふと太陽の姿が頭に浮かび乾いた笑いが零れる。

「そうか、太陽か。」

私は、船の先に立つと空を見上げた。

太陽にうっすらと三本の線が見える。

目と口だろう。

閉じて必死に隠しているのだろうが、あまりにも見え透いていた。

銃口を向けると引き金に指をかけた。

太陽に1撃をくわえると血の雨が降り始めた。

黒く、濁った血の雨が降り注ぐ。

太陽は痛みに耐えるように荒く息を繰り返している。

太陽は沈み夜がくればそれでいい。

ただ、それだけでいいのだ。

日は沈み、夕日の頃が来ればそれでいいんだ。

そう確信していた。

それでこの夢は終わるんだ。

何の意味もない、ただの私の夢がこれで終わる。

太陽が傾き、夕焼けが船を照らすのを見届けると船内への扉をゆっくりと開けた。

鏡のようにこの世界を照らす夕暮れの下で私はそこに反射しながら、その扉を開ける。

そこには同じような船内しかなかったが夕焼けに反射する私の方は出口に繋がっていたようだった。


   「現実、羽化、最後」


 意識を取り戻すと目の前にはひび割れた真っ白な繭がなっている。

眠っていたのだろうか。

妙な夢を見ていた気がする。

どのくらい眠っていたのかはわからないが汗が乾いて肌寒さを覚えた。

繭はしきりに音を立てている。

「私の勝ちだ。」

そう言って私は繭に銃口をつきつけた。

引き金を引こうとして殺すなと私の声が聞こえる。

それは車窓に反射する私が叫んだ声だった。

私が一瞬止まった隙に繭から伸びた手が銃を握ると投げ捨てた。

舌打ちとともに繭に視線を戻した時その手は私の腕を掴もうとする。

私はすんでのところでそれをよけると後退をよぎなくされた。

ゆっくりと佐々木が繭から顔を出す。

その顔にあの傷はなく両の目で私をあざ笑っていた。

上半身まで外に出した時その背部に蛾のような羽が生えていることに気が付いた。

まだ縮こまり濡れてくしゃくしゃの羽だった。

これが羽化なのだと気づかされる。

決して成虫にはなれなかった佐々木の芋虫とは違い佐々木は羽化することに成功したのだ。

「おはよう。」

佐々木はその声で私は馬鹿にし虚仮にするように囁く。

「一緒に夢を見た仲じゃないか。」

そう言うと悲しそうな目をして私に繭の欠片を投げつける。

私は咄嗟のことに体を動かそうとして足を滑らせ倒れてしまう。

立ち上がり佐々木に向かおうとするが彼女は器用に体を繭を使い車窓を開け汽車の屋根へと体を滑らせた。

空っぽになった繭だけがそこに残される。

じっとりと湿り気を帯びミルクのようなにおいを放ちながら。

残された暖かみが気持ちの悪さを助長させる。

反射する私を睨みつけどうして邪魔をしたのかと問い詰めた。

「佐々木を殺してはいけない。」

私はそう呟き続けるだけだった。

まるで、まだあの夢の中にいるかのように。

舌打ちが汽車の轟音に消える。

とにかく佐々木を追わなければ。

銃を拾い上げると同じように車窓から身を乗り出すとこの汽車がそれなりに上空を走っているのだと再度確認させられる。

そして相も変わらずに人々は地上で嘔吐し続けていることも。

何度か落ちそうになりながらも汽車をよじ登りその上へとたどり着く。

佐々木が地上を見下ろしながらそこに立っていた。

「裸じゃ風邪でも引くんじゃないか。」

佐々木に軽口をたたくと銃を向ける。

その羽は乾ききったのかしっかりとその背から伸びている。

白いような灰色のような、決して美しくはない蛾の羽だった。

「地上では人々が臓器を吐き散らしその上空では運命という天使が羽を伸ばしている。

まるで、裁きの時のようだ。」

彼女はそう言って羽を広げた。

天使と言うには薄汚い蛾の羽が鱗粉をまき散らした。

仮に天使だとするのなら、残酷な、残酷な天使だと思う。

「虫けらが。」

私は彼女との距離を詰めようと1歩を踏み出す。

走る汽車の上そう簡単には進めないがゆっくりとなら何とかなるものであった。

「私を殺してはいけないんじゃなかったのか?」

佐々木はそう言って嘲笑うと私に向かって手を伸ばす。

「ああ、殺せないさ。

私はバランス感覚がよくないんだ。

きっと今に足を滑らせる。

君が手を下すまでもなく、私は死ぬさ。」

気の触れた人間を見るような目で佐々木は私を見た。

それでいい。

そうやって勝ちを確信していてくれ。

私は大丈夫だと何度も心で唱える。

その瞬間を待ち続けた。

長い、長い時間のように感じる。

あの時、彼岸花の世界で夜明けを待った時のようだった。

「下らない。」

佐々木はそう言うと手を下し私から一瞬目を離した。

その瞬間、私は勢いよく駆け出す。

思い通り私はバランスを崩して汽車から振り落とされそうになった。

だから彼女の大きく広げられた羽を掴むと必死に引っ張った。

彼女は小さく悲鳴を上げると私と共に大きくバランスを崩す。

飛ぼうとしているのか大きく羽を揺らそうとする。

私の掴んでいない羽が大きく揺れた。

もうこうなってしまってはどうすることもできなかった。

私と佐々木は汽車の前へと転がり落ちる。

後は、この汽車に轢かれ死ぬだけとなった。

ぐしゃりと人体の弾ける音がして汽車の轟音だけが、そこには残った。


   「勝者、結末、デカラビア」


 すんでの所で屋根を掴んだ右腕に力を入れると私は汽車をよじ登る。

今日は死ぬほど体力を使ったような気がする。

登りきると立っていることもままならなくなり屋根の上に寝転んだ。

流れる風が心地良さを残す。

そして、ゆっくりと汽車はその走行を緩めていく。

最後に触れた佐々木の肌が冷たく皮膚に感覚を残している。

終わったのかとその手を見続ける。

佐々木の叫び声が夜空に響くまでは。

不意を突かれ私は勢いよく立ち上がると頭がくらりと揺れる。

弾き飛ばされた佐々木は上半身だけになっても生きていた。

夜空にしがみつき体を震わせている。

「こんな、死に方をして、たまるか。

私こそが、運命なんだ……。」

その体は皮膚から虫の足が生え断面からは蠅の羽が伸びようとしていた。

グロテスクな人の上半身だと言われて信じる人間がどれほどいるのか、そんな疑問を抱かせるほどに悍ましい姿になった佐々木が唸り声をあげて藻掻いている。

彼女は腹に力を入れ心臓を吐き出そうとしていた。

「まずい。」

彼女は心臓を噛み砕いて死ぬつもりだった。

彼女にそれをさせてはいけないと直感で感じる。

彼女に向かい大きく迂回をして汽車は進んでいく。

佐々木の目は汽車を私を睨みつけ修羅の如く血走っている。

「急げ。」

汽車を急かそうと何度もそれを叩いた。

ゆっくりと佐々木の口に心臓があらわれ始める。

それを噛んでしまおうと佐々木は歯を立ててぎりぎりと噛みつく。

痛みに耐え死のうと努力する。

蛾と蠅の合いの子のようになり果てた佐々木は悍ましい怪物だった。

なんとか佐々木が心臓をかみ切る前にこの汽車に轢いてもらわなければならない。

あの女はあの女の作ったもので死ななければならない。

「お前は誰かに恨まれて殺されない。

お前はくだらなくお前によって死ぬんだ。」

そう叫ぶと彼女を睨みつける。

「急いでくれ。」

汽車を蹴りつけて思う。

最早、私にはそう祈る他になかった。

満足のいく死を与えてなるものかと願う。

その時は一瞬だった。

心臓から血が噴き出したのか汽車が佐々木を弾けさせたのか。

私にはわからない。

どっちなのか。

それが不安で仕方ない。

彼女の肉片は雨のように地上へと降り注いだ。

羽も肉もぐちゃぐちゃの塊にしか見えない。

それでも尚彼女の死が不安でしかたがなかった。

汽車が完全に止まったのを確認するとすぐに中へと戻り車窓に反射する私を見た。

その私が笑顔であることを確認すると、安堵からか疲れからか。

私は眠ってしまった。

それは今までにない心地の良い眠りだった。


「英雄、救済、救世主」


 目を覚ますとそこはベッドの上であった。

私は何度か自分の手に力を入れて拳を作る。

上手く力が入ることを確認すると、ゆっくりと体を起こした。

どのくらい眠っていたのだろうか。

妙にすっきりとしていて、頭は冴えている。

誰かが、ここで保護してくれたのだろうか。

「起きたのか。」

誰かの声がして、そちらに視線を送った。

1人の女がそこに立っていてこちらに微笑んでいる。

「ついに佐々木をやったんですね。」

彼女は私にそう言った。

そう言われて初めて自分が勝ったのだと心の底から確信する。

「ここはどこなんだ?」

ベッドに腰かけなおして疑問をぶつけた。

「ゆっくりと休んでください。

あなたはまだ怪我をしているんですから。」

そう言われ節々が痛むことに気が付いた。

確かに私はまだ完全に癒えたわけではないようだった。

ただ質問の答えは帰って来ない。

「佐々木の死体はどうなったんだ?

私の知る限りでは粉々になってしまってとても彼女の死体だとわかるような状態ではなかったように思うが。」

ならばと更に質問をぶつける。

「大丈夫ですよ。

なんとか頭部は形をとどめていましたから。」

彼女はずっと笑顔で暖かった。

「そうか。」

そう言うと私はポケットを探る。

「煙草を吸ってもいいのかな。」

「ええ、どうぞ。」

あれだけのことがあった後に見る最初の顔だからか。

彼女がそう心がけてくれているのか。

とても艶やかで美しく思える。

幸いなことに煙草は一本だけ残っていた。

「ありがとう。」

そう言って火をつけるとゆっくりとそれを吸った。

今までのことが思い起こされる。

最初に私が、いや正確には佐々木だが。

殺したのは柏木 凛檎だった。

あの彼岸花の世界が遠い昔のことのように感じる。

あの時はよく生き残れたものだと煙を吐きながら思う。

そうだ、彼女にもこの話を聞かせてやろう。

そう思った。

私のデカラビアを教えてやろうと。

「話を聞いてくれるかな?」

私の要求に彼女は快く承諾してくれた。

まずは、柏木 凛檎の話だった。

白屍病の細い体をした少女だった。

次は橘 葉狐だ。

そうやって思い返すと私は色々な世界を旅したのだと感じる。

鉄塔の世界も昭和のようなあの世界もゆっくりと彼女に話した。

本当に起こったことなのか不安になるほど現実離れした話だった。

柏木、橘。

佐々木 真那津などという女もいた。

彼女が最も私をてこずらせた女だろう。

最初に私は信貴を追い詰めようとしていて、気づけば佐々木になっていた。

なんと信じがたい話だろう。

話していて笑みが零れた。

彼女もまたそれを見て笑ってくれて現実に帰ってきたのだと安心感が体を包み込む。

柏木が死に、橘が死に、信貴が消え、佐々木が死んだ。

これで終わったんだと、どうしてか頭で理解できた。

最後に残ったのは私、貴船 貴子なんだと思うと嬉しくて涙まで出そうになった。

私が生き残れたのは鏡の中の私のおかげで、

いや私自身のおかげだったのだと心からそう実感した。

「君はこんな話、信じられるかな?」

私が尋ねると彼女は微笑み答える。

「半分ですかね。」

私は笑う。

「すごいね。

私なら半分も信じられないよ。

こんなの夢か妄想の類の話だ。」

「そうなんですか?」

彼女は悪戯な性格なのかと思う。

「どうなんだろうね。

私も半分は私が見た夢なんじゃないかと思うよ。

ひどい、ひどい夢だ。

悪夢のような夢だ。」

ずっとうなされていたのかもしれない。

ずっとずっと。

私は煙草を地面に落とすとスリッパで踏み消した。

もう一度ベッドに横になった。

それでも耐え抜いて勝ったんだ。

悪夢は終わり、これからはゆっくりとまた平凡な日常が流れ始める。

決して早くはない、ゆっくりとした現実の中で生きていくことができるんだ。

そう思うと嬉しくてたまらないな。

「また少し眠るよ。

やっぱり疲れてるみたいだ。」

「おやすみなさい。」

彼女の声が鼓膜を優しく撫でた。

ああ、ずっとこの時間が続けばいいのに。

きっと、このまま眠ることができればいい夢が見れるだろう。

そう思うと少し胸が高鳴って眠気が消えてしまいそうになった。

そんな私の眠気を疲労が連れ戻し微睡が訪れる。

起きたら彼女にもっと詳しく話を聞かせてあげよう。

きっと喜んでくれるに違いない。

そう思いながら、私は眠りにつこうとする。

どうしてかは全く分からないが彼女はずっとそばにいてくれるそんな気がしてならなかった。


   「物語の終わり」


 今日は珍しい友人からの誘いで喫茶店に来ていた。

暑く湿った気候が外に出ることを私に拒ませたが長い友人の頼みとあっては断れなかった。

この灼熱の中、テラスで珈琲を飲むというのも悪いものではなかった。

何より今日は空が綺麗だった。

青く、ほんの少しの雲を携えてゆっくりと流れる美しい空。

僕はパラソルの下でほんの少し顔を出してそれを見上げる。

それに悪い寄生虫ももう僕の中にはいないようだった。

どうしてか頼んでしまったホットの珈琲を冷ましながら思いを馳せていた。

友人は携帯を触ることに必死なようで僕を構ってくれそうにはない。

携帯を見つめる彼女にそっと笑いかけてみる。

「昨日のニュース見た?」

不意に顔を上げられたので少し動揺してしまう。

彼女は勢いよく僕に顔を近づけた。

僕によく似た顔が近づいてくる。

友人は暑さなど感じていないのか全くもっていつもと変わらないようで何度も答えを催促してくる。

「昨日のニュース?」

それに疑問で返す。

「大規模なテロか何かがあったらしいよ。」

「テロか何か?」

1つの町に住むほとんどの人が死んじゃったんだよ。」

彼女の必死な説明に可愛らしさを覚えた。

「今度、一緒に行ってみたいね。」

僕は悪戯な笑顔を浮かべてみる。

「あまりに危険だからってもう封鎖されちゃったから行けないよ。」

せっかくいじわるでもしてやろうと思ったが、予想外の返答に飽きてしまう。

封鎖されてなかったら連れて行かれていたのかもしれないと思うと少し怖くなったというのが正解かもしれないが。

「なんでも細菌か何かを使ったのか被害者の人たち皆、悲惨な死に方をしたって。」

彼女の目は不謹慎にも少し輝いて見える。

「悲惨な死に方?

これはインターネットで見ただけだからわからないんだけど内臓を吐いちゃうらしいんだ。

全部。」

「それは悲惨だね。

犯人はわかってるの?」

「そのテロの重要参考人というか関与してる可能性が高い人物はいるみたいなんだけどね。

ずっと鏡を見て話しかけてるんだって。」

僕は飲みかけの珈琲を置くと少し笑った。

「そうか鏡を見て話しかけるのか。」

それを聞いて安心していた。

彼女はまだ語っている。

「いつも穏やかに話してるんだけどね。

名前で呼ぶと発狂するんだよ。

私は貴船 貴子だって。

誰?って感じだよね。

私達は信貴 綾なのに。」

いつの間にか、どうしてそんなことを知っているのかということまで語りだす彼女を見て僕は勝利を確信する。

「それが彼女のデカラビアだったんだよ。」

友人はきょとんとして頭を悩ましている。

「デカラビア?」

そんな声が聞こえる。

そう、これはずっと最初から最後まで僕の物語だったんだ。

僕は立ち上がり珈琲を飲み干すと店を出た。

僕で満ち溢れたこの世界を見渡す。

そこかしこに僕がいる。

なんて素晴らしい僕の世界。

この僕のデカラビア。

信貴 綾のデカラビア。